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2006.11/19 (Sun)

帝王切開、そして入院② 

前日のエントリ『帝王切開、そして入院①』の続きです。

+*+*+

11月13日(術後5日目)、この日はついに相方が東京へ戻る日。
めちゃめちゃ寂しくて、それに色んなことを考えてしまって(これはまた別の機会に書きます)、前日泣いてしまった。

今回、母にも洗濯して持ってきてもらったりと、かなりお世話になったんだけど、やっぱり自分が弱音を吐けるのは相方だけで、唯一の心の支えだったわけで。。その相方がいなくなって、お腹に傷を抱えた状態でひとりで息子の世話をしなくちゃいけなくて、不安で不安で、寂しくて仕方がなかった。
なんでこんなことになったの?っていう気持ちもやっぱりあって・・・。

もちろん、へその緒を絡みまくってた息子をどう思うとかってのは全然ないし、ほんとかわいくて仕方ないんだけどね。
ただ、前に通ってた産婦人科だったら、なんとかしてくれたんじゃないかなとか、そういう小さな後悔があったりして、ずっともやもやしていたけど、相方といることで紛れていたそういう気持ちが噴出すんじゃないかっていうのもまた不安だった。

11月14日(術後6日目)、やっぱりひとりでいると色んなことを考えてしまって、涙が止まらなかった。そこへ偶然来た看護師さんにも見られたけど、深追いしないでくれてよかった。

産後のブルーに加え、緊急帝王切開になってしまったショックは半端じゃなかった。事前に決まってれば心の準備もできたんだろうね。
二人目は予定帝王切開になるだろうから、ちょっとはマシなのかなぁ。。あんな気持ち、二度と味わいたくない。。

この日くらいから、息子の世話もなんとかこなせるようになった。まだ傷口には金具がついていたため、動くたびに少し攣れて痛かったけど、動き出してしまえばたいしたことはなかった。

ま、3時間おきの授乳は体力的に辛かったし、夜中泣いてなかなか寝てくれないとこっちも泣きそうになったけど、こんなのは世の中のお母さんみんな経験していることだしね。あたしにだってできると思ってやらないと。

11月15日(術後7日目)、ついに抜糸の日。朝の傷のお手入れの時間に取ってもらった。

息子が大きめだったからか、後から見たら傷口もけっこう長めで、金具の数も多かったらしく、チクチク感がけっこうたくさんあってしんどかった。激痛ではなかったけど、苦痛だった。
「思ったよりは痛くないですね」といったら、「この金具が一番痛みは少ないですね。種類によっては痛いんですけど、○○病院の金具なんか多分痛いと思うし、昔ながらの糸なんかだと激痛でしょうね。」と、淡々と話してくれた。

そして、明日からシャワーができるとのこと。でも、傷口見るのこわい・・・。

また、明日昼には、退院前日の祝い膳が出るから、身内をひとり連れてきていいですよと言われた。相方はもういないので、母を呼ぶことにした。

11月16日(術後8日目)、朝の悪露の洗浄の後、シャワーをさせてもらうことに。洗浄の際、「あの、傷ってけっこうえぐいですか?」と聞いたら、「見てごらん」と看護師さん。
恐る恐る体を起こしてみてみたら、金具の跡はかさぶたがいっぱいついててちょっとあれだったけど、傷自体は思ったよりきれい。
へその下3cmくらいのところから恥骨のあたりまで、ちょっと斜めに線があった。今の段階では、正中線のほうがえぐいw
また、妊娠線はあまり目立ってなかった。

シャワーは、傷口はゴシゴシしないようにすれば、あとは普通でいいとのことで、そのようにしてみた。
別に傷にしみるでもなく、問題なかった。

そして、退院前日の祝い膳。息子をナースステーションに預け、お膳の出る食堂へ行ってみたら、うわさどおりすごい豪華なお食事が。最初から全部出てるけど、フルコースです。

テーブルの横には、メッセージカードも添えられていて、凝ってるな~と思った。

料理の味も、やっぱりとってもおいしかった。作ってる人って普通のおばさん?っぽいんだけど、何か資格持ってる人なのかなぁ。とにかく料理はすごいおいしいんだ。

本当は相方と一緒に食べれたらよかったけど・・・、帝王切開じゃなければね~、入院が短いから、一緒に食べれたかもしれないのに。

11月17日(術後9日目)、ついに退院の日。
朝は普通にすごし、10時半くらいに事務の方が支払い請求に来て、それを払ったら退院準備完了。
母に連絡して来てもらって、看護師さんに準備ができた旨報告し、ぷーすけと一緒に写真を撮ってもらったり、私の手とぷーすけの足についてた、私とぷーすけが親子であることを示すバンドと、ぷーすけのベッドについてた母の名前やぷーすけの身長・体重などが書いてあるカードを記念に頂いて帰った。


こうして、出産日を含め10日間の入院生活で、これまでの私の人生で一番濃密な日々だったけど、色んなことを考え、経験するいい機会だったように思う。
まさか自分がお腹を切って子供を産むなんて、2週間前までは考えもしてなかったことだったしね。(実は、出産した産院は、帝王切開への切り替えの判断が早いという噂はあったんだけど。)

でも、数十年前なら、もしかしたらふたりとも死んでたかもしれない。
医師の判断が遅かったら、息子に障害が残ったり、死んじゃってたかもしれない。
そう思うと、この子と会うための痛みだったんだし、今元気で子供と過ごせてることに感謝しなきゃと思う。

次も帝王切開かーと考えると、今はほんっと気が重たいけどねorz

+*+*+

長くなりましたが、出産・入院のおおまかなところです。
ひとつの出産の形として、こんなこともあるんだ~と思っていただけたら幸いです。
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12:45  |   -出産・入院  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑
2006.11/18 (Sat)

帝王切開、そして入院① 

今回の体験を通し、色々書きたいことがたまっているけど、子供の世話をしながら更新したり、コメントのレスしたり、お友達のところへ遊びに行ったりって、なにげにすごく大変なんですねぇorz

自分の書き溜めてることを出し切ったら、みなさんのところへもお邪魔しますね! 今は読み逃げ状態で、すみません(^ー^;)

*+*+*

手術当日は、麻酔が切れたあとは傷の痛みはもちろんのこと、傷ついた子宮の後陣痛がひどく、また興奮状態であったため、眠れそうにもなかった。
眠れれば幾分マシかとも思ったが、こんなに痛いのに眠れなかったら最悪だーということで、看護師さんの勧めもあって、痛み止めの座薬を入れてもらう。
それでもすんごく痛かった。

付き添いが泊まれる個室を選んだので、相方には泊まってもらうことにした。結果的に、こちらにいた6日間、ずーっと付きっ切りで世話をしてくれることになる。

11月9日(術後1日目)、昨夜から頻繁に起きる後陣痛が、まだまだ続いていた。これが本当に痛い。
看護師さんいわく、本来初産の後陣痛は比較的軽いのだが、子宮収縮を促す点滴を打っていたため、重かったらしい。
初産であの痛み・・・、次回も帝王切開だろうことはすでに覚悟の上だったから、二人目とかどうなっちゃうの?と、その時から怖かった。今も憂鬱。。

医師からは、ガスが出ないことには通常生活に戻れないからと、出るようになるべく寝ている体を左右に動かしたり、起き上がったりという動作を取るように言われる。
『うそ~、こんなに痛いのに、動けって・・・』というのが正直な感想。

前夜の痛み止めが切れる頃には、またすさまじい痛みが襲ってきてぐったり。看護師さんより、もう一度痛み止めを打ちますかと言われ、お願いする。

それでもやっぱり痛いが、朝早く、看護師さんが昨日誕生した息子を部屋に連れてきてくれたので、その息子を見ている時は痛みなんて忘れることができた。

息子、HNはぷーすけとする。
ぷーすけは、基本的に旦那の家系の顔立ちをしていて、鼻から上は赤ちゃんの頃の相方や義妹にそっくり。口元は私に似ている。
それから、目をぱっちりにすると奥二重になるため相方そっくりであるが、眠そうにうとうとしているときの二重の顔は私(の赤ちゃんの頃?)にそっくりらしい。

そして、この日は積極的に体を動かすことにし、相方にベッドを起こしてもらったり、頑張って体勢を変えて連れてきてもらってた息子を触ったりしてみた。
動いてる時に後陣痛がきたり、傷が痛んだりすると、固まったまま痛みを逃すことになるので、しんどかった。でも、早くごはん食べたいしね。(ガスが出ないとごはんが食べれない。)

頑張った甲斐あってか、この日の夜ガスを出すことに成功。
ただ、ガスが腸を通る時?なのかなんなのか、出る寸前にお腹に激痛が走ったため、『これ、ごはん食べれるようになって便通が出てきたら、すんごい痛いんじゃ・・・?』と不安になった。

11月10日(術後2日目)、この日も傷の痛みや後陣痛はあったものの、前日よりは軽かったため、痛み止めを使わずに乗り切ることにした。

朝の医師の診察の際、昨夜ガスが出たことを伝えると、「今日の夕方番茶、明日から食事出します。同時に点滴はずすので、トイレとかは歩いて行ってもらいます。」と言われ、歩くことに不安を感じながらも、久々に口にものが入れられる~とうれしかった。8日の陣痛中にお茶を飲んで以来、水すら口に入れてなかったのだ。

ところで、導尿ってすごいね。
こちらの意に反して、常に尿が出てるんですね。不思議。。
あたしそんなにしたの!?ってくらい出てて、ほんとびっくりした。

そして、夕方の番茶はとってもおいしく感じた。お茶をあんなにおいしいと感じたのは、久々だったなぁ。
また、お茶を飲む時に体を支えて起こしてくれた相方にも、なんだかすごく感謝しちゃったりして。
ああいうとき、人間って健康が一番だなーって、心から思うね。

11月11日(術後3日目)、流動食を口にする。激まずかった。。でも、早く通常の生活に戻るためだと相方からも促され、完食。

その後点滴をはずされ、看護師さんから、「ベッドメイクするから頑張って椅子に移動して」と言われ、相方や看護師さんの手を借りつつ、5分近くかけてすぐそこにある椅子に移動する。

その後、すぐに尿意を感じたため、看護師さんに付き添ってもらってお手洗いへ。一度歩いてしまえば、そのまま歩行するだけならなんとかなった。動き始めがすごく痛かったけど。
お手洗いでも、不思議と座ったり立ったりの動作はさほど辛くなかった。
ただ、なぜか妊娠中のような頻尿が継続してて、何度も何度もお手洗いへ行きたくなるのが辛かった。
せっかくベッドへ横になっても、数十分でまた尿意を感じたり・・・。

ただ、後陣痛がかなり減ってきていたのが救い。その分傷の痛みが目立ったけど、医師いわく、順調に回復しているとのことだった。
人間の治癒力ってすごいよね。。あんな手術したのに、もう歩けるんだよ。なんで?

というわけで、この日は頑張って歩いたということしか記憶にない。

あ、ちなみに、昼食は5分がゆ、夕食はうどんでした。徐々にグレードアップ。

11月12日(術後4日目)、食事が他の入院患者さんと同じになる。ボリュームがすげえ・・・。しかも、ここの病院の食事はおいしいと有名で、うわさどおりめっちゃおいしかった。病院とは思えないくらい。写真撮ればよかったなー。
とてもじゃないがひとりじゃ食べきれないけど、おいしくて残すのもったいなかったから、相方と一緒に食べた。

この日にはほとんど後陣痛もおさまり、体を動かす時の傷の痛みとの戦いだった。でも、歩かなきゃトイレには行けないし、この日から傷の消毒や悪露の洗浄のために分娩室に行かなきゃいけなくなったから、頑張るしかなかった。
でも、洗浄はすごく気持ちよかった。あれ、会陰切開した人は、最初はすごく痛いんだろうなぁ。

また、この日から母子同室。授乳とかもしなくちゃいけなくて、不安だったけど、体がしんどい時は母乳はなしで、ミルクだけを相方にあげてもらった。

初めて1日ぷーすけの世話をしてみて、やっぱり育児って大変なんだなぁと痛感。

隣の個室で、長いこと陣痛に耐えてあえいでる妊婦さんがいたんだけど、そういう人が隣にいるとやっぱり子供を泣かせたくないわけで。

ぷーすけが泣くのは、お腹がすいている時、おむつがぬれている時、眠いけど寝付けないときで、3つ目が本当にやっかい。
長時間抱っこして揺らしてあげないと寝ないんだけど、この日は相方がしてくれたものの、相方がいなくなる明日からあたしひとりでできるの?と不安になったりして。

でも、やるしかないんだよね。

*+*+*

長いので、続きます!
21:46  |   -出産・入院  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑
2006.11/17 (Fri)

出産体験談 

入院中コメントくださったみなさん、ありがとうございました!
そして、レスが遅れて大変申し訳ありませんでした。

実は、思いもよらなかった事態が発生し、異常分娩を経験することになり、今日退院してきた次第です。
心も落ち着いた今だから書ける、怒涛の出産体験を書きたいと思いますw

+-+-+

11月8日、この日は朝7時くらいに目覚めるも、お手洗いへ行った後また部屋へ戻り、二度寝をした。この時は特に変化なし。

朝9時半
なんかお腹が痛くて目覚める。便秘のような痛みだ。
『でも、便秘じゃないし、でも波があるから便秘の痛みと似てるなぁ』とか思いながら、布団の中でしばし過ごす。

・・・やっぱり痛い。なんか数分間隔で、すぐに痛みが去ってしまっている。前駆陣痛かな?と思った。
そしてもう一度お手洗いへ行くと、出血していた。

『あ、始まったんだ。』

ここでようやく陣痛なんだと分かった。

10時半、リビングにいる母に、「陣痛が始まったみたい。おしるしがある。」と言い、間隔をはかってみる。

14分、12分、10分、と、約2分ずつ減っていっている。痛みも徐々に強くなり、何より進みが早い。

買い忘れていたが、コンビニでも買えるしとタカをくくって用意してなかった歯磨きセットを買いに行く。

12時、再び家に着いたときには、7分間隔。
病院からは、10分間隔で来院するようにといわれていたので、すぐに電話し、入院の準備を持って産婦人科へ。

13時前、お昼時だったからか、少し待たされてNST開始。
そのままの状態で、1時間ほど様子を見させられる。

14時、医師が登場し、内診。
「ん、もう6cm開いてるな。入院ですね。」
早い!! どうりで痛いと思ったよ。。
でも、まだまだこんなもんじゃないだろう。それに、いきみ感も全然ない。きっとまだまだかかる。

15時、陣痛室で付き添ってた母が、「余裕そうだし、今4分ってことは、初産だからまだまだかかるね。お母さん洗濯物入れたりしてくる。」といって一度自宅に戻った。
まぁ、母から事前に「かっこ悪いから叫ぶな、暴れるな。」と言われていたからしれっとしていただけで、実はかなり痛かった。

15時20分頃、再び医師が来て、「だいぶつらいですよね?そろそろ気張りたいような感じがあるでしょう?」と言われたが、「陣痛は痛いですけど、いきみたい感じっていうのはまだ・・・。」と答えた。本当にいきみ感がなかったのだ。
そして首をかしげつつ医師が内診。
「もう9cm開いてる。分娩室へ移動しましょう。」
看護師さんが「あらー、初産なのに早いね~。」と驚いていたし、私も同様に驚いた。
経過が早かったのもそうだし、多くの経産婦が一番つらかったと言ういきみ感がなかったから、なんか変だなと。ちゃんと出せるのかなと。

15時45分頃、全開と言われ、相変わらずいきみ感がないまま、言われたとおりにいきんでみる。
もちろん、手ごたえはない。こんなんで出せる感じがしない。子供のあたまだって全然降りてない感じがした。

16時半ちょっと前に、医師により破膜。「ある程度のところまで赤ちゃんを降ろせれば援護(吸引)できるので、お産を進めるために破水させました。陣痛も一気に痛くなると思いますから、頑張ってください。」と言われ、子供の頑張りにも期待。

しかし、その後の陣痛はすごく痛いのに、子供が全然降りてこない。相変わらず朝と同じ位置で胎動を感じていた。

『だめだ。たぶんこんなんじゃ出てこない・・・。』

この時点でそう思った。

16時50分、医師が「だめだ、何かに引っかかってる。17時まで頑張って進まなかったら、緊急手術に切り替えよう。」と看護師さんたちに話す。

やむなく17時になり、
「どうやら何かに引っかかって出てこれなくなってるみたいです。産道を通れないのか何なのかは出してみないと分かりません。
 このまま頑張って無理に進めて、もし何か異常があった場合、お母さんと赤ちゃんが元気に終えれる保障もできないし、そうなった場合責任も取れないんです。なので、手術に切り替えましょう。」

と説明を受け、不安になりながらも承諾した。

『どうなるんだろう・・・お願い無事に産まれて! 赤ちゃん、あたしを踏み台にしてもいいから、どうか助かって!』

本気で祈った。
あんな気持ちがなかったら、あそこまでいってた自然分娩から緊急帝王切開なんて精神的に無理だっただろう。現に、すごくこわかった。

その後が辛かった。
手術開始までの約40分間(と看護師さんが言ってた)、それまで手を握ったり、陣痛のたびに会陰を押さえてくれてたり、一緒に呼吸法をやってくれてた看護師たちがバタバタと動き出し、私はひとりで横にされ、まだ続いている陣痛と戦わされることになる。たぶん、この時が一番辛かった。
陣痛の痛みはもちろんのこと、精神的な苦痛は相当大きかった。

NSTの機械から聞こえる胎児心音だけが、心の支えだった。
赤ちゃんも、破水後で、しかも出てこれない状態なのに続く子宮の収縮で、そうとう苦しんでいるはず。
赤ちゃんだって、頑張ってるんだ。

その後は、分娩室とカーテンを隔てて併設されてた手術室の手術台に移され(もちろん歩いて)、剃毛、導尿、そしてついに背中から局部麻酔をされ(これも痛かったけど、陣痛に比べれば余裕)、仰向けにさせられた。

手術が始まった。
最初はちくっとした痛みを感じたが、その後は痛みを感じることもなく、ちょっとしてから産声が響き渡った。
「○○さん、おめでとうございます!産まれたよ!男の子ですよ!」

『ああ、産まれた~~~』

17時54分、長男誕生

でも、意識は朦朧としていて、感動したという記憶はない。
同じ頃、「血圧79切りました。」「79?低いな。」というやり取りが聞こえ、『でも赤ちゃんが出されたから、もうどうなってもいい。。』とか思ってた。

そうしてうとうとしていたら、頭の上から声がした。
「○○さん」
「○○さん、しっかりして、ほら赤ちゃんだよ。」


目線を上にやると、今誕生したばかりの私の息子が、じーっと私のほうを見ていた。
「こんにちは、やっと会えたね。大丈夫?ごめんね。」
自分がそう言ったことだけは、はっきりと覚えている。

そしてそのまま手術が終わるまでまたうとうと。。

手術が終わってから、医師から息子の首、腕、脚にへその緒が絡まっていたことを知らされた。それが原因で降りてこれなかったんだろうと。

そして、担架で病室(個室)まで運ばれた。
分娩・手術室の前では両親が心配そうに近づいてきて、母が「大変だったね、大丈夫?」と声をかけてくれた。「たぶん・・・。」と答え、次は新生児室の前で看護師さんから、「ほら、赤ちゃん。こっち見てる。」と言われ、再び息子とガラスごしに対面。
母が「顔立ちしっかりしてかわいいね。」と言ったので、「○○くんに・・・、旦那に似てる。」と言ったら、「でもあんたもこんな感じだったよ。」と言ってた。
やっぱり、自分の娘に似てほしいようだ。

一方、陣痛中はしきりにメールで連絡しあっていた相方は、会社の健康診断があったりして東京を出るのが遅れ、到着したのは23時半過ぎだった。
手術が終わって部屋に戻された時からそれまでの5時間近く、途中たぶん寝たりもしたんだと思うけど(ちょくちょく記憶がないのだ)、相方の到着を心待ちにしていたので、その時には覚醒してた。

「大丈夫?痛かったやろ。よく頑張ったね。いい子。」と頭をなでてくれた。
この時には新生児室がカーテンで閉ざされていたらしく、子供には会えなかったと残念がっていた。

こうして、私の初めての出産は、ほぼフルコースを味わう形で終わった。
本当に、すさまじい体験になった。
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